B-Bの今日のぐだぐだ

青森出身、宮城在住の保健師。潰瘍性大腸炎罹患。僕の好きなものや欲しい物をどんどんさらけ出して行きたいと思います

何故、男性の僕が看護師になり保健師になったのか~その1とその2~

どうも!保健師として絶賛活躍中のB-Bです!

 

昨今、男性看護師は徐々に増え、

少数ではありますが、男性保健師も出てきています。

 

ただ、まだまだ少ないのも事実です。

 

今回は、

・「何故B-Bが狭き門である男性看護師となったのか」

・「何故看護師を辞めて保健師となったのか」

について話していきたいと思います。

 

 

高校で、医療を考えた

僕は、自慢になってしまうが、

中学校まではそれなりに頭がよかった自身がある。

それで、親の勧めもあって、

中学生では「医師になる」ことが将来の夢であった。

 

ただ、それは、

「医療」ってものがなんなのかも分からない状態で、

単純に「えらいひと」ってイメージだった。

また、その時に読んでいたゴッドハンド輝 (講談社コミックス)

のせいで、「よくわからないけどすごい人」

ってイメージしかなかった。

 

高校に入り、実家から離れた学校で下宿をしていた僕は、

ゲーセンにはまり、どんどんと成績を落として行った。

そんな状態なので、

大学受験では医学部なんて全く狙えないレベルにまで落ちてしまっていた。

 

しかし、大学受験の時に、

自分の将来についてしっかりと考えた時に、

僕の母が病気で入院した時に言ったことを思い出した。

入院している時に

「先生は辛い時しかいないけど、看護師さんはいつでも助けてくれた」

「看護師さんがやさしくて、涙が出るほどうれしかった」

と話していたのを思い出したんだ。

 

僕は、病気を治すだけの医師よりも、

患者の心に寄り添える看護師になりたいと

そう思って看護学部を受験したのでした。

 

 

大学入学後、潰瘍性大腸炎の発見←今回はここまで

大学に入学した僕は、

内容もよくわからないまま看護学部のガイダンスを受け、

「やっべぇ…女の子しかいねぇ…」

と、果てしない絶望を感じたのだが、

その時に、4年間の履修と実習で保健師の免許も取れることを知った。

 

その時は保健師なんてなにをしている仕事なのかも分からなくて、

正直「まぁ、暇だし免許取っておくか」くらいにしか考えていなかった。

 

さて、大学に入り、

勧誘を受け、楽しそうだからという理由でバレー部に入ったのだが、

そのバレー部が…いわゆる

飲みサー(のみさー) - 日本語俗語辞書

だった。

 

そこで週3で飲み会があり、飲み続けていた僕は、

酒のせいでお腹がゆるくなることも多かったのだが、

ある日、

大量の血便で目が覚めた。

 

なんじゃこりゃ!?と起きようとしたのだが、

まったく体に力が入らず、なんとかタクシーで病院へ。

 そこで検査をされたが、原因が分からず大学病院へ。

 

大学病院で「潰瘍性大腸炎」と診断されました。

潰瘍性大腸炎は、まだ治療法が確立されていない病気の一つで、

国では特定疾患に指定されている。

難病情報センター | 潰瘍性大腸炎(指定難病97)

病気に関しては↑を参照してください。

時間があったら潰瘍性大腸炎に関する記事を書きます。

 

さて、潰瘍性大腸炎になってからの僕だが、

病状が非常に悪く、授業に出られないこともしばしばあり、

1年留年をすることになった。

なんだったら、

その学校の看護学部で初の男子の留年だったらしく、

それなりに話題になった。

 

教授からは「(看護師は激務だから)あなたの病気では看護師はできない」

と言われ、

看護師の先輩にも無理だと言われ、

正直、お先真っ暗だったのだが、

 

「やってみなきゃわかんないよ!」

の精神で、看護師の道に進んだのであった。

 

 

 

 

長くなってしまったので、

今回はこのへんまで。

大学卒業後に看護師となるのだが、

そこは次の記事で。

 

ではでは。

 

 

 

2017年2月21日追加

 

bbsota5454.hatenablog.com

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